1、  2006年度 相賀小学校 5年生平和学習     尾鷲湾  空襲


2、 春の遠足で尾鷲湾を見ましたね。

3、1945(昭和20)年7月28日の話をします。4年生で学習した三野瀬駅の汽車襲撃は1945年7月25日でした。
   それから、3日後の出来事です。

4、アメリカ軍は、太平洋の島々・沖縄の日本軍をやっつけて、いよいよ日本本土への攻撃に集中していました。

5、当時、本土決戦に備え、尾鷲湾にも海軍は、艦艇を配属していた。

6、海防艦「駒橋」 長さは64m 幅10.7m 大きさ1125t 速力14ノット 燃料 石炭230t
    (1930年代にディーゼルに) 武装7.6cm単装砲2基7.6cm単装高角砲1基 種別 潜水母艦完成 1913年5月

7、駆潜艇第13号型 長さ51m、幅6.7m  大きさ438t 速力16ノット 乗員68名
  燃料・機関 ディーゼル2基   武装8cm単装高角1基 13mm連装機銃1基 爆雷36個          完成1942年
8、掃海艇等4隻 西大洋漁業第一八幡州丸(264トン)がいた。記録に残っているもの。

9、7月28日午前5時54分攻撃を開始。



10、米軍機尾鷲湾の海防艦「駒橋」、14駆潜艇、掃海艇や水地・


11、引本湾・すがり港の駆逐艦を次々に襲撃。
12、日本海軍の艦艇も 応戦しました。 駒橋は、前の年の津波で座礁していたが、アメリカ軍機の攻撃で大破し、船の底が完全に海底についてしまった。
13、海防艦も大破、座礁しました。 西大洋漁業第1八幡丸264t沈没

14、これらの攻撃で即死者は74名 負傷者は二百数十名。
  負傷者は尾鷲国民学校(今の尾鷲小学校)に運ばれました。 しかし、治療中に死者続出。
  合計の死者は147名にのぼりました。 アメリカ軍機の攻撃は午後4時ごろに終わりました。

15、すがりでは、次の日、港に浮いている死者を引上げ作業をしたという記録が残っています。
  尾鷲市史では「この戦闘は全町民に恐怖を与えた。田畑・山で働く者がいなくなった。海にも出ない。
  中村山の横穴(大きな防空壕)は夜明け頃から満員で呼吸困難。
  腹が減ったが朝食を炊くと煙が出るので配給された米を生でかんだ。

16、朝夕の食事に家に帰るが(米の配給があるから?)それ以外は宮の上の壕、北浦の壕、
  馬越のトンネル、坂下(さかげ)のトンネルに非難した。

17、ほとんどの家には防空壕があったが 不完全なもので攻撃から守れないと知り、町の共同の壕に入った。
  坂下トンネルには海軍の爆雷(ドラム缶約350本余り)が隠されていた。



18、尾鷲湾の海軍が攻撃されたことはニュースにはなりませんでした。
 軍は国民には何も本当のことを知らせていなかったのである。
  広島に新型爆弾が投下されたのは  8月6日




19、長崎にも新型爆弾が投下されたのは  8月9日

20、日本が戦争に負けたといったのは  8月15日

21、 児童・生徒が軍事訓練をしていた話は前にもしました。
22、 中学生になると本物で訓練していたという記録がありが、尾鷲中にも本物の銃が置いてありました。
  この写真は当時の尾鷲中学校の武器庫です。


23、 2006年7月からの戦闘で、世界が心配している地域があります どこですか?

24、レバノンです。 レバノンでは、イスラエル軍と ヒズボラが戦っています。

25、イスラエル軍の攻撃7月13日 大規模な攻撃が始まりました。

26、砲撃やミサイル・ロケットで、レバノンは被害を受けました。7月13日

27、イスラエル北部の港湾都市ハイファに 16日朝、レバノン南部からロケット弾が撃ち込まれ、
 少なくとも8人のイスラエル人が死亡、数十人が負傷した。
 国連軍もイスラエルの攻撃で死者がでました。7月27日

28、イスラエルの地上部隊もレバノンに入りました。

29、空爆を受けたベイルート南部の町8月1・2日

30、 攻撃は続き、子どもたちもたくさん死んでいます。 7月31日
    子どもらはヒズボラですか?
31、イスラエル4日から 36時間で空爆160回 ヒズボラ、ロケット弾260発応戦  
  7月12日の戦闘開始からのレバノン、 イスラエル双方の死者は800人以上に達した。
 @なぜ、レバノンの子どもたちは殺されたの?

32、 2006年8月2日、イラク各地の爆弾・銃撃で61人死亡、うち 兵士が26人以上
  Aなぜ、イラクではテロが続いているの? 武器を持っていない人が殺されたの?

33、インド、ムンバイの列車爆発。 死者179名負傷者661名。2006年7月12日  
  Bなぜ、インドで列車に乗っている人が爆弾でやられたの?

34、 C1945年8月6日 広島、9日長崎、 およそ30万人 の人が新型爆弾 「原子爆弾」で 死ななければ ならなかったの?

35、 それらの答えは、・・・・・・
 わたしたちは、その国に生まれました。その国には、周りの国との間に長い歴史があり、
悲しい出来事があったはずです。その歴史の続きを私たちは生きています。

36、 「憎しみの連鎖」という言葉を聞いたことがありますか?
  これが、今年の平和教育の問題を解く鍵です。

高学年としての課題

 4年生までの平和教育の取り組みでは、戦争の悲劇・悲しみを伝え、戦争に対する思いを持たせる取り組みをした。5年生で、一歩進んで、アジア・太平洋戦争に突き進んだ心情・今なおイラク・イスラエル・レバノンなどで続くテロの現状に迫るきっかけとして「憎しみの連鎖」という言葉を示し、「連鎖」の意味を教えた。「きりないやん〜」という声が子どもから上がりました。「きりのない戦い」へと進んでいる現実をその声からみんなに伝えた。「戦争はいやだ。」から、現実の戦争での戦っている人・支持している人の心情をつかみ、その上にたっての戦争反対へと進んでいってほしい。
 
戻る